平和都市長崎

1945年8月9日午前11:02長崎市の浦上地区、上空500mでプルトニウム型原子爆弾が炸裂しました。

市内は壊滅的な被害により、一瞬にして7万人という命が奪われました。

2025年、被爆からちょうど80年となりました。原爆が落とされた当初”50年間は草も生えない”などと言われていましたが、その後わずか30年程で長崎は観光都市としての地位を確立し現在に至ります。

悲しい歴史を体験したが故に、現在の平和への思いが長崎には込められています。

長崎原爆資料館へは海外の方がたくさん訪れますが、多数の方が目を覆いたくなるような悲惨な記録なども展示されており、戦争という間違った選択をするとこういう悲惨な事も起こる可能性がある、と言うことを心に刻んでもらえると世界の紛争は減っていくのではないかと言うことを教えてくれます。

 

平和公園

原爆落下中心地の隣の丘に、長崎平和のシンボルとなる平和祈念像があります。

核兵器廃絶と世界恒久平和を願うシンボルとなっています。

右手は「原爆の脅威」、左手は「平和」、閉じた目は「犠牲者の冥福」とそれぞれに意味が込められています。

長崎原爆資料館

原子爆弾が投下された1945年8月9日午前11時02分の被爆時計。

3日前に広島へ落とされた”ウラン型”とは違い長崎へは”プルトニウム型”爆弾が使われました。一説ではウラン型爆弾のおよそ1.4倍の威力があったと言われています。これにより犠牲者の”影”が焼き付いた塀や、被爆後の絶望的な幼い子供の写真など、当時の惨状を時間の経過と共に展示しています。

一本柱鳥居

浦上の山王神社へ向かう途中にこの鳥居があります。爆心地から700m~800m程の所にあり爆風により片側が吹き飛ばされ、現在この形でそのまま残っています。またこの神社には”被爆クスノキ”と呼ばれる爆風と熱線により幹が焼け焦げ枯れ果てたクスノキがあります。なんと、被爆2ヶ月後に新芽を出しその後回復、現在に至ります。現在では、復興のシンボルとなっています。